枕石寺(ちんせきじ)
(茨城県常陸太田市上河合町1102)

2月25日(月)、枕石寺(ちんせきじ)さんへ

参拝いたしました。

枕石寺は親鸞聖人が教化の途中吹雪にあい

一夜の宿を求めるも断られ、寒い雪の日に

門の扉止めの石を枕にして休まれたことで有名な

あのお寺です。

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           枕石寺山門

『この門の前で聖人が・・・』

と山門を前にして思ってしまいましたが、

親鸞聖人の時代の枕石寺は現在の場所とは

異なりますので違うそうです。


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           枕石寺ご本堂


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          親鸞聖人像


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             お内陣


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     ご本尊 阿弥陀如来像


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         枕石寺ご絵伝


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           枕石寺ご本堂

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                 案内看板


〜案内看板より〜

親鸞聖人御旧跡二十四輩本席枕石寺の由来


大門山傅燈院枕石寺は日野左衛門尉頼明を

開基とする寺で今からおよそ760年前に

親鸞聖人が館をおたずねになり『枕石寺』と

名付けられてご滞在されたこともある由緒ある

寺です。


日野左衛門は文治二年(1186年)京都日野の

里に生まれた

幼少のころから文武両道に秀(すぐ)れていたが

驕慢な振る舞いが仇となり、うその告げ口をされ

承元元年(1207年)流刑の勅宣を受けて常陸国

大門の里に流罪となった。


建暦元年(1211年)流罪勅免となったが、常陸国

には既に多くの門弟がいたため京都には帰らなかった。

その翌年(1212年)親鸞聖人が越後から常陸国を

ご教化の際二人の御弟子を伴って日野左衛門の

館をたずねたが一夜の宿をかさぬばかりか門前まで

追い出してしまった。

修行のみとはいえ、厳冬の夜、降り積む雪の中では

寒さが身にしむので心配した御弟子がお声をかけると


  『寒くとも たもとに入れよ 西の風 

         弥陀の国より 吹くと思えば』


とうたわれ二人のお弟子をさとし門の扉止めの石を

引きよせて枕にしてお休みになられた石がお枕石で

あり、この寺の宝物となっています。

その夜、日野左衛門は改心してお弟子となり入西房

釋の道圓というお名前を頂き、あなたの邪見驕慢な

心を早く捨て大海のような広大な心でお慈悲喜ぶ身

となってくれよと仰せられて、昨夜お休みになられた

お石の上に『大心海』という三字をお書きになり、

館を『枕石寺』と名付けられたと伝えられております。


枕石寺の建立及び移転

一、大門時代建暦二年(1212)二十一年間滞在

当寺の伝記には『大門村柿樹監圃谷(カキノキ

ダイラシホハタヤツ)に瀧有り云々』故に瀧上山

枕石寺と号す。とある(跡地不明確)

 ? は、このような字です→ Photo 

 
 

二、内田時代、貞永元年(1232)移転

   309年間居住(跡地不明確)


三、川合時代、天文九年(1541)現在地に移転

山号については、大門から内田時代が瀧上山枕石寺、

川合に移って内田山枕石寺となり、延宝六年(1679)

義公様から『大門山』の山号と額が贈られて、

大門山枕石寺となり、山号が三度変わっている。

その時贈られた『大門山』の額は現在本堂に

掲げられている。

 

お枕石等の寺宝は団体拝観以外は自由に拝観が

できませんが、毎年11月16日、当寺の報恩講

(親鸞聖人のご命日)には自由拝観出来ますから

ご参詣下さい。 

              〜枕石寺案内看板より〜


注)管理されている方のお話によりますと、

東日本大震災により、ご本堂が傾いているため

通常ご本堂は閉扉されており、枕石寺への

電話の取次も中止しているそうです。

 

ご参拝をされてもご本堂内の参拝は

難しいと思われますのでご注意ください。

 


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住所:茨城県常陸太田市上河合町1102

 (大)       


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