『親鸞聖人関東ご旧跡ガイド(本願寺出版社)』
の常瑞寺さんの紹介ページに掲載されていました
立ち寄ることにしました。
住所がガイドブックには載っていませんでした
のでネットで検索したところ、泉崎村文化財の
HPから『北平山字古寺7−3』だとわかりました。
ナビで検索しましたが記載の住所では
ヒットしませんでした。
仕方なく近くの地番にセットして現地を
目指しました。
現地に着いてあたりを見回しましたが、
それらしきものは見当たりませんでしたので
ご近所の方に尋ねてみました。
ご近所の方はご存じではなく、それでも
ご親切に知り合いの方にまで尋ねて
くださいました。
残念がら場所の特定はできませんでしたが
人の温かみを感じた一幕でした。
結局、大網本廟所在地の泉崎村役場に出向き
役所の方に場所を教えていただきました。
※緑の矢印が指す場所が大網本廟跡です。
現地に駐車場はありませんが、1〜2台分は
路肩に寄せるスペースがあります。
大網本廟跡
『史跡 大網本廟跡
昭和51年6月22日
泉崎村指定
(案内板内容)
浄土真宗第二世如信上人は、建治元年(1275年)
祖父親鸞聖人の遺言と白河領主有機朝広の請いにより
奥州大網東山(現泉崎村大字北平山字古寺)の地を
訪れ、信夫の郷士佐藤荘司元治の室建立の西念寺に
大網奥之坊を開基した。
この地域は、下野(栃木県)常陸(茨城県)両国を通る
街道の合流地であり、東北・関東教化の拠点となった。
本坊は、寛永四年(1627年)白河城主丹波長重の命
により、如信の墓所(大網本廟)をこの地に残し、城下
大工町に移され、ほどなく寺号も西念寺から常瑞寺と
改称された。その後大網本廟には、白河城主本田忠義
によって、大網堂が再建された。
泉崎村には、如信ゆかりの地名 如信沢・東山・如信
清水などが残され、また大網本廟碑の台座には、関和
久村・二子塚村・松倉村・中畑村・滑津村の名が刻まれて
いる。
泉崎村教育員会』
さて、役場の方に『鍵が掛かっていますが開けて
入っていただいて結構です』とお聞きして
おりましたので気兼ねなく鍵を開けて入らせて
いただきました。
如信上人のお墓
この後、如信上人ゆかりの地を巡ることになり
如信上人ご終焉の地であります法龍寺(茨城県)に
向かうことにしました。