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鎌倉時代、浄土真宗の開祖、親鸞は、その生涯のうち20年を茨城で過ごしました。
親鸞の生涯と思想、親鸞を支えた家族と茨城の社会、親鸞が育て帰洛後もその教えを引き継いだ弟子(同朋)の活動という観点から、茨城における親鸞の軌跡をたどり、滞在20年の意義を探っていきます。
※3月1日に展示替えをしました。
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◇出陳資料一覧 を見る
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しんらんしょうにんがぞう
『親鸞聖人画像』
※茨城県指定文化財 大洗町・願入寺蔵
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−展示のみどころ−
1 親鸞聖人直筆国宝「坂東本教行信証」(真宗大谷派(東本願寺))が
400年ぶりに茨城へ里帰り!
2 真宗の至宝を大公開! ※下の資料は,すべて重要文化財
聖徳太子像(善重寺),善性本親鸞聖人消息集(専修寺),拾遺古徳
伝絵(無量寿寺),聖徳太子絵伝(上宮寺),聖徳太子絵伝(妙安寺)
3 親鸞の弟子が伝えた重宝を初公開!
恵信尼像(稲田西念寺),聖徳太子像(永泉寺・無量寺),親鸞聖人
像(願入寺),西念上人像(辺田西念寺),覚信尼像(常敬寺),
善光寺式阿弥陀如来像(信願寺),唯善上人像(常敬寺)など多数
−関連行事のお知らせ−
●講演会「茨城の親鸞」
2月28日(日) 午後1時30分〜午後3時
講師:今井 雅晴氏(筑波大学名誉教授・真宗文化センター所長)
※会場:当館講堂
※先着200名(要入館券)
●親鸞歴史講座 各日とも午後1時30分〜
2月13日(土)「親鸞の生涯−歴史と伝承のなかで−」
20日(土)「茨城の門徒1−県北・県央・鹿行地域−」
3月 6日(土)「茨城の門徒2−県南・県西地域−」
13日(土)「親鸞以後の茨城の浄土真宗」
担当:飛田 英世(当館学芸課首席研究員)
※会場:当館講堂
※先着200名(要入館券)
●展示解説 各日とも午前11時〜,午後2時〜 30分程度
2月14日(日),3月7日(日),14日(日)
解説:飛田 英世(当館学芸課首席研究員)
※要入館券 |
〔展示室の様子〕
※仏像や仏画,絵巻など,たくさんの貴重な資料を展示しています。 |
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〔展示品の紹介(一部)〕 |
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顕浄土真実教行証文類(坂東本教行信証)
(真宗大谷派・東本願寺)
国 宝
唯一現存する親鸞直筆の顕浄土真実教行証文類です。長きにわたって,坂東報恩寺とも称された報恩寺(常総市豊岡町丙,東京都台東区東上野の2か所に所在)に所蔵されてきたことにより,坂東本教行信証とも呼ばれています。 |
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紙本著色 親鸞聖人伝絵
(下妻市・光明寺)
下妻市指定文化財
親鸞の生涯を描いた伝記的絵画のうち,掛幅型式を絵伝,巻子型式を伝絵(でんね)といいます。この巻子は,東本願寺所蔵「康永本 親鸞聖人伝絵」の系統に属する模写本です。 |
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紙本著色 拾遺古徳伝絵
(鉾田市鳥栖・無量寿寺)
国重文
法然の伝記のなかに親鸞を登場させたのが,『拾遺古徳伝絵』です。鳥栖・無量寿寺所蔵のものは,正安3(1301)年,覚如が出羽国長井荘(山形県長井市)の鹿島門徒,長井導信の要請によって描かせたものです。慶長13(1608)年に罹災し,焼けた残りを一巻に仕立てたものです。 |
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木造 聖徳太子像(松葉の太子)
(古河市・光了寺)
茨城県指定文化財
摂政太子像,あるいは日羅が礼拝した太子12歳の姿にも近いが,この両手の位置では笏が入りません。光了寺の縁起のとおり,太子3歳の桃より松を愛でたところを表していると思われます。その表情には,理知的な少年の姿を彷彿させるものがあります。 |
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紙本著色 聖徳太子絵伝
(那珂市・上宮寺)
国重文
詞書1段と絵14段からなります。懐妊・誕生から入滅,そして上宮家の滅亡までを,ひかえめながらも色彩豊かに表現しています。各段をとおして聖徳太子はオレンジ色系で描かれていることで絵巻全体に統一を与えています。 |
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絹本著色 法然上人像
(那珂市・常福寺)
国重文
親鸞の師,法然の大型の御影です。肘掛けに飾りのある曲彖(椅子)に坐す姿で描かれています。足下には沓を置き,やや前屈みに左下方を凝視しています。剥落ちが著しいものの,袈裟の紅白の模様,横被の青色が遺っています。 |
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木造 恵信尼(玉日姫)坐像
(結城市・称名寺)
玉日姫像としても知られてきました。恵信尼の生きた時代からはかなり後の作ですが,時代を経ても,恵信尼を慕う気持ちが後世の人々に息づいていたことが分かります。 |
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二十四輩牒
(大洗町・願入寺)
大洗町指定文化財
正慶元(1332)年正月5日付の文書です。内容は如信33回忌のこの年,覚如と親鸞面授の弟子の後裔が話し合い,親鸞の教えを堅く守っていくこと,および,それを覚如に誓約した,というものです。 |
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木造 弁円懺悔の坐像
(石岡市・大覚寺)
明法が弁円と称した時の姿とされています。弁円の出自を尋ねると,藤原忠通の曾孫だそうです。聖護院で修験道を研鑽後,佐竹氏の招きで常陸国久慈西郡塔之尾に法徳院を開き,天台系の修験者として人々に加持祈祷を勧めていました。茨城県北部は修験道の山が少なくなく,弁円のモデルとなる修験者の活動はありました。修験者は「懺悔,懺悔,六根清浄」と唱えて山入りしますが,この像は親鸞に信仰的な告白の意味で懺悔した姿だといわれています。 |
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木造 阿弥陀三尊像
(茨城町・円福寺)
茨城県指定文化財
徳治2(1307)年に,性信の娘・証智尼のために弟子たちが造立しました。阿弥陀と両菩薩が死者を迎えにきたのではなく,三体の仏が人々のために祈り,教えを説く様子を表していると思われます。浄土真宗系の阿弥陀如来像で木造三尊型式のものは珍しいです。 |
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木造彩色 聖徳太子立像
(水戸市・善重寺)
国重文
善重寺の寺伝では親鸞も礼拝したといわれています。木造の本体に布貼りを漆塗りを施し,さらに漆の盛り上げで文様を作り,そこに彩色を施しています。極めて高い技術であり,作者は朝円という京都の仏師との指摘があります。
もとは,大山村(城里町阿波山)の浄土宗・慈願寺にあり,慈願寺の廃寺にともない,徳川光圀によって,父頼房以来,信頼を寄せる善重寺に託されています。
聖徳太子像のなかで,全国的にみても最も秀作であろう,と言われています。
*普段は見ることができない,後ろ姿がご覧になれます。 |
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善性本親鸞聖人消息集
(真宗高田派本山専修寺)
国重文
親鸞やその弟子の性信,真仏などに関わる,13通の消息(手紙)などを収めています。その中でも,下野国の高田門徒関係の消息が比較的多いです。善性の住む飯沼と高田は小貝川で結ばれており,善性は意図的にその地域に住む親鸞面授の弟子に関わる消息類を集めて,ここに納めたと思われます。 |