純心寺住職 曽我弘章
阿弥陀さまのお育てをいただくと、私の本性が知らされます。最近、私は自分のこれまで
の人生が自己中心の性格(本性)からまわりの人を振りまわし、どれほど迷惑をかけたこ
とだろうかと思うとため息が出ます。思ってはいけないことを思い、言ってはいけないことを
言ってきました。悲しいけれど、これからもそうでしょう。
しかし、阿弥陀さまはこのような私でも決して見捨てられないのです。救われるためには
もっと善い行いをしなければいけないのではないか、過去に悪い行いがあってはその罪の
ためにもう救われないのではないかと心配する私に、阿弥陀さまは「大丈夫だよ、私は本
当のあなたを知っているから」とおっしゃるのです。「そのままのあなたを、どうしてもたす
けたい」と願ってくださるのです。
なぜならば「何の力もない、苦悩に沈む衆生を救いたい」という思いひとつで本願を起こ
され、成就されたからです。
阿弥陀さまのひかりに照らし出された私の姿は、まさに恥ずかしい、悲しい、愚かな私で
す。にもかかわらず、そんな私を阿弥陀さまだけは必ずお救いくださるという世界が、私は
素直にうれしいのです。愚かで孤独で危なっかしい私ですが、阿弥陀さまは「あなたが私
の本願のはたらき場所です」とおっしゃるからです。いつでもどこでも私に付き添ってくださ
るからです。
阿弥陀さまのお誓いは、深く重い罪悪をもち、燃え上がる煩悩の炎を抱えて生きる私
たちを救うために起こされた願いです。その絶対に見捨てはしないという願いのおかげ
で、私はやっと人間として生まれたことに感謝できるようになりました。
私たちの幸せを願いはたらき続けてくださる阿弥陀さまの「無量のいのち」に出遇えたお
かげで、私は「今」という時間がこの上もなく尊くなりました。阿弥陀さまにお遇いできたと
きから、私たちは新たな人生を歩ませていただきます。そんな阿弥陀さまのおこころを、そ
っと咲いたユウガオの花を見つめながら思いました。
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