歎異抄第一条
南無阿弥陀仏
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなり
純心寺住職 曽我弘章
「阿弥陀さまが仏さまになられる前の法蔵という名の菩薩であられたとき、『すべてのいのちを見捨てることなく、必ず浄土に救い取ります』という願いをたてられました。
そして、『私の名(南無阿弥陀仏)を一度でも(十度でも・・・・・、回数にこだわらず)称えた(聞いた)あなたが、もしも安らかで浄らかな世界(浄土)に往生できなければ私も仏にはなりません』という誓いを守られて阿弥陀如来となられました。
かくして仏となられた阿弥陀さまは、自らの名である「南無阿弥陀仏(名号)」に、自身のいのちのすべて(全功徳)を込めて私たち衆生に呼びかけられました。
その阿弥陀さまのお心に触れ、『私も阿弥陀さまの名(南無阿弥陀仏)を称えて(聞いて)みたい』という思いが私の中に起こったとき、『そのままのあなたを助けます。あなたを必ず救い取って絶対に見捨てはしません』という阿弥陀さまに見守られながらこの人生を生きて、生ききったときにお浄土に往生させていただく身の私であることに気づかされました。
『そのままのあなたを助けます』と呼びかけられる阿弥陀さまのいのちと、『ありがとうございます』と安心して返事をする私のいのちが、『南無阿弥陀仏』の名号によって固い絆で結ばれたのです。
阿弥陀さまの『あなたをどうしても助けます』という願いは、老人も若者も善人も悪人も分け隔てされません。ただ、差し向けられた阿弥陀さまの願いをそのまま受け取る心がもっとも大切であると心得なければいけません。
なぜならば、阿弥陀さまの願いは、もともと煩悩のために罪重く悩み多い私たちを救うためにおこされたお慈悲の誓いだからです。
したがって、阿弥陀さまの願いを受け取ったからには、『私が救われるためにはもっと善い行いをしなければいけないのではないか』などと心配する必要はありません。
阿弥陀さまは、自らのいのちのすべてを『南無阿弥陀仏』という本願の名号にこめて私に呼びかけ、その『南無阿弥陀仏(名号)』を称える(聞く)私を無条件で救いとられるのですから、「南無阿弥陀仏」のお念仏よりも優れた善はどこにもないのです。
また、『私のように悪い行いがあってはとても救われないのではないか』と心配するかもしれませんが、大丈夫です。
どんな悪い行いでも、阿弥陀さまの本願の前に立ちふさがるほどの悪は決してないからです」と、親鸞さまは仰せられました。
浄土真宗本願寺派 純心寺 (西本願寺)
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